"푸마 신작 스파이크 evo TOUCH J 발표회에 킨구카즈 & 곤 나카야마 등장"
12/1に行われたプーマ新作スパイクevo TOUCH J 発表会にゲストとして登場したキングカズこと三浦知良選手とゴン中山こと中山雅史選手。2人のスパイクへのこだわりから過去の秘蔵話、更にこれからのサッカー界への想いが詰まったボリューム満点のトークセッションを全文紹介!
야마자키 쇼타로
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2016/12/05
−−− ご多忙のお二人ですから、このように一緒に揃って行うイベントはなかなか無いんじゃないですか?
三浦知良 (以下 カズ)そうですね。まぁ仲悪いですもんね。笑
中山雅史(以下 ゴン)結構ね、いがみ合ってるんですよ。笑
−−−今回、プーマの新作スパイクの発表会ということなのですが、まず始めにお二人のスパイクへのこだわりを聞かせてください。
카즈:僕はね、”こだわりが無い”と言うのがこだわりという感じで、わりとなんでも履いてます。なんでも履くんですけど、最終的にはパラメヒコに戻ってますね。練習でも今シーズンだけで4種類くらい履いていましたし、試合でも2、3種類は履いてました。
ゴン:僕も一緒ですね。というか、僕の場合、足でのプレーはほとんどやらないのでスパイクへのこだわりと言うよりも、ポイントの高さがある程度高いパラメヒコを使用してました。
카즈:ソールを自分仕様に変えてたの?
ゴン:そういうことですね。というか、カズさんってパラメヒコのイメージそんなにないですよね。カズさんと言えばスフィーダでしょ!スフィーダが無くなってパラメヒコ率が高いですよね。
카즈:そうですね。
ゴン:だから、僕とカズさんはパラメヒコにすごく愛着があって履いて来たのに、なぜパラメヒコマンが駒野になったのかというのが非常に気になりましたよね!
카즈:気分悪かったよね。笑
ゴン:そうだよね!
카즈:しかし、よくしゃべるねアンタ。笑
−−−こちらとしてはたくさんしゃべって頂いてありがたいです。スパイクについてですが、年間だと何足くらい履かれるものなのですか。
카즈:僕の場合、練習で6足から7足くらい。試合用で2足くらいですね。そんなに替えることはないですね。
ゴン:僕も試合は2足くらいですね。試合用に使ってて、履けなくなったやつを練習用で使ってました。
−−−ということは、これまでのサッカー人生の中で200足近いスパイクを履いてこられたことになると思いますが、その中でも「このモデルは特に思い入れがある!」というものはありますか?
카즈:今年、evo SPEEDを初めて履いたんですけど、プーマを30年以上履いて来た中で一番良かったなと思いました。走る感じも、踏み込んで蹴る感触も良かったし、日本の芝生とマッチしていてすごく履きやすかったです。
ゴン:僕はもうパラメヒコです。あと、皆さんに知って頂きたいのがジャスパーですね。ジャスパーは売れなかったんですが、この存在を皆さんに知っておいて頂きたい!この二つはとても印象的ですね。
−−−思い入れの強いスパイクと共に、そのスパイクで奪ったゴールというものがセットで印象に残っているのではないかと思います。それで言うとゴンさんはやはり98年W杯でのゴールだと思うのですがいかがですか?
ゴン:そうですね。あの時もパラメヒコですね。ずっとパラメヒコなんですよ。僕の心残りはアルゼンチン戦の時に、パラメヒコのポイント取り替え式の方を履いてしまったことです。それまではずっとこだわって、違う方を履いていたのですが、アップの時にバティストゥータが取り替え式を履いてたんですよ。それを見て『じゃあ、俺も取り替えにしよう』となってしまった自分の弱さに情けなさを感じました。
−−カズさんもゴールとスパイクをセットで考えると、感動的な色んなゴールがあると思いますがいかがですか?
카즈:チャリティーマッチやオールスターの時に、必ずプーマの方がその試合用に用意してくれるんですけど、アップで試して履いた後、本番ではいつも履いてる試合用を履いちゃうんですよ。だけど、あのチャリティゲーム(2011年東北地方太平洋沖地震チャリティーマッチ)だけは、用意されたやつをたまたま履いたんです。いつも持って来てくれる方がいるんですけど、持ってきたやつを履いてないと、泣きそうな顔をするんで。あの試合は用意してくれたのをぶっつけ本番で履いたんですよ。
ゴン:よくぶっつけ本番で履きましたね。ふつう絶対しないでしょ。
카즈:そうなんですよ。あの試合はたまたまでしたね。
−−−話題に上がったパラメヒコ同様、今回発表された「evoTOUCH J」も日本製ですが、印象はいかがですか?
ゴン:軽いですよね。
카즈:今のスパイクは軽いですね。ハイカットになってても軽いですね。
ゴン:ステッチがなくなってる。言っちゃ悪いんですけど、僕ステッチが好きなんです。パラメヒコも更に4本ステッチを入れてくれとか、伸びないようにしてくれと要求しているんですけど、これはなくても伸びないんですよね?素晴らしいです。
카즈:日本人には履きやすいと思う。さっきちょっと履いたけど、最初の履き心地が良かったです。
ゴン:これはアップ無しで試合で使えますか?
카즈:使えるね!
ゴン:臨機応変に使えるということですね。
카즈:これでボール蹴ってみたいですね。
ゴン:日本だけでなく、世界でもこれから使用されていくということですか?
−−−そういう展開になっていきますね。
카즈:ヨーロッパでやっている選手も履くんですか?
−−−履く機会はありますよね、もちろん。デザインはどうですか?
ゴン:今は派手ですよね、白、黄色、ピンク、赤…いろいろありますよね。カズさんはどうなんですか?
카즈:そのへんも全くこだわりがなくなっちゃいました。
−−−昔はカラーが目立つのは履くなと言われてましたもんね。
카즈:そうですね。ブラジル時代は黒ベースで白ラインが入っているのが主流でしたから、派手なのを履いていたらチームの人に結構言われましたよ。『今日のプレーが悪いと叩かれるから、それを履くな』って。
ゴン:今は黒が珍しいですよね。グラウンド上で黒いスパイク履いている人が少なくなっちゃいましたもんね。でもやっぱ黒でしょ!黒に白がいいかな。黒に赤も好きでしたけど、黒にした方が良いなと。ゲン担ぎしちゃうんです。ずっとそれを履いてきたんだから、続けないと悪くなっちゃうんじゃないかなとか思っちゃいます。
あとは靴ベロの長さもそうですね。パラメヒコはでっかいのがあったんですが、それに自分のサインを書き込むのが一番好きな作業でした。カズさんは最初、刺繍が入ってましたよね。僕はそれに憧れて最初はマジックで書いていたんですが、そのうち刺繍を入れてもらえるようになりました。
−−−話を伺っていると、こだわりがいっぱいありますね。刺繍でメッセージ性の強いものもありましたよね?
카즈:そうですね。日の丸を入れてもらったりとか。まだ当時、それこそ20年以上も前のことですけど、好きなロゴを入れたりするのはなかったですから、珍しかったですよね。
ゴン:走りですよ。カズさんが1番最初だったんですよ。ドーハのときも手書きだったんですよ。帰ってきてから、刺繍が入るようになったんですよ。
−−−カズさんが高校1年生の12月にブラジルへと渡って34年が経ちますが、今でも思い出したりしますか?
카즈:しますね。先週、久しぶりに息子と2人で静岡に帰ったんですけど、静岡駅から旅立った時の話を丁度してたんですよ。「ここからブラジルに行ったんだよ」って。
−−−evo TOUCH Jの新CMについてはいかがですか?
ゴン:あれ藤枝東ですよね?! あれは藤枝東ですよ! あの廊下と廊下の引き扉とか! 今、藤枝東は人工芝になってますもんね。僕は知ってます!
카즈:僕は静学にいた期間が短かったから、全然覚えてない。
ゴン:静学も変わってますよ。
카즈:通ってた場所になかったから。最後に行った時は更地だった。笑 移転したんでしょうね。
−−−今の高校生と、ご自身の高校時代の違いはありますか?
ゴン:技術が非常に長けているなと。あと、戦術重視で戦っているなと。自分たちのときは、あそこまで細かい戦術はなかった。僕がいた頃は堅守速攻という形だったんで。
카즈:あるじゃない!
ゴン:でも、そんなに細かい戦術はあまり記憶にない。あったのかもしれないけど、僕はとにかく裏に走っていただけだったので。
−−−カズさんは高校時代はほぼブラジルでしたが、どのように感じられておりますか?
카즈:戦術ありきになっているところがあるので、自分で考える力がなくなってきているのかなと思いますね。日本人の欠点としてよく言われているけど、選手が試合中、ベンチを見ているっていうね。僕はブラジルにいましたけども、ブラジルの子供たちの高校生年代には無いことです。
やりかたはあるにしても、グラウンドの中ではほとんど自分で判断して、自分でやっていきます。ですが、日本人は勝っているときに守るのか、攻めるのかをベンチに向かって聞いてますから、高校生はそういうとこがありますね。
ゴン:それこそ今、養わないといけないと周りが動いていることだと思うんですよ。判断力だったり、そういうことがグラウンドの上でなされれば、自立もできるだろうし、自分たちがどうやって攻めるのか、守るのかに繋がっていくんじゃないかなと思います。
僕、高校3年でカズさん見たときに強烈でしたよ。もう、またぐまたぐ。その時、僕ディフェンスやってましたから。負けるたびに坊主でした。まだその時はカズさんじゃなくて、『カズ、スゲー』って言っている時代でした。大学卒業してすぐブラジル留学させてもらった時に、サントスのカズがいたんですよ。
카즈:前座試合に出てたよね。サントスがモジミリンのホームに行っていたんですけど、モジミリンとどこかのクラブが試合していて、サテライトみたいなチームでゴンちゃんが試合に出ていた。その試合の後、2人で会ったんです。
ゴン:帰国する直前にまたサウナで会ったんですよ。 きーちゃんもいたね。笑
카즈:北澤がホンダでプレーしていて、留学していたんですよ! 黒崎とね。
ゴン:北澤と黒崎がサンパウロFCに3カ月留学していたんです。そういう時代ですよ。きーちゃんはまだ長髪じゃなかったよね。
카즈:ゴンちゃんがヤマハに入って留学して、ホンダも若い選手をブラジルに送っていたんですよね。
ゴン:今、ヨーロッパに行く人が多くなっているけど、ブラジルに行く人はほとんどなくなっている。でも、ブラジルに行ったらハングリーになりますよね。
카즈:そうね。ウチの若い選手も3年前にブラジルに行ってたのがいた。やっぱりレベルが高いって言ってましたよ。
ゴン:サッカーのレベルも高いですし、物もパクられる。だからそこでディフェンス力も鍛えられる。笑
카즈:危機管理がね。笑 全てがトレーニングだった。盗まれなかった?
ゴン:僕は危機管理能力が高いので大丈夫でした。常にスーツケースに鍵かけてました。
−−−カズさんにとって、プロとしてのサッカー人生は来シーズンで32年目になり、お二方とも来年で50歳ということですが、いかがでしょうか。
카즈:そうですね。頑張りたいですね。でも、やるからには役に立たないといけないんでね、しっかり準備して、ピッチにevo TOUCH Jで立ちたいですね。
ゴン:どういう形で関わるかわからないですけど、やるんだったら、チームのためになるように努力していきたいですし、やる以上は高いところを目指して日々挑戦していけたらと思います
取材協力/PUMA JAPAN
写真/佐久間秀実 清水知良(スパイク写真)
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三浦知良 (以下 カズ)そうですね。まぁ仲悪いですもんね。笑
中山雅史(以下 ゴン)結構ね、いがみ合ってるんですよ。笑
−−−今回、プーマの新作スパイクの発表会ということなのですが、まず始めにお二人のスパイクへのこだわりを聞かせてください。
카즈:僕はね、”こだわりが無い”と言うのがこだわりという感じで、わりとなんでも履いてます。なんでも履くんですけど、最終的にはパラメヒコに戻ってますね。練習でも今シーズンだけで4種類くらい履いていましたし、試合でも2、3種類は履いてました。
ゴン:僕も一緒ですね。というか、僕の場合、足でのプレーはほとんどやらないのでスパイクへのこだわりと言うよりも、ポイントの高さがある程度高いパラメヒコを使用してました。
카즈:ソールを自分仕様に変えてたの?
ゴン:そういうことですね。というか、カズさんってパラメヒコのイメージそんなにないですよね。カズさんと言えばスフィーダでしょ!スフィーダが無くなってパラメヒコ率が高いですよね。
카즈:そうですね。
ゴン:だから、僕とカズさんはパラメヒコにすごく愛着があって履いて来たのに、なぜパラメヒコマンが駒野になったのかというのが非常に気になりましたよね!
카즈:気分悪かったよね。笑
ゴン:そうだよね!
카즈:しかし、よくしゃべるねアンタ。笑
−−−こちらとしてはたくさんしゃべって頂いてありがたいです。スパイクについてですが、年間だと何足くらい履かれるものなのですか。
카즈:僕の場合、練習で6足から7足くらい。試合用で2足くらいですね。そんなに替えることはないですね。
ゴン:僕も試合は2足くらいですね。試合用に使ってて、履けなくなったやつを練習用で使ってました。
−−−ということは、これまでのサッカー人生の中で200足近いスパイクを履いてこられたことになると思いますが、その中でも「このモデルは特に思い入れがある!」というものはありますか?
카즈:今年、evo SPEEDを初めて履いたんですけど、プーマを30年以上履いて来た中で一番良かったなと思いました。走る感じも、踏み込んで蹴る感触も良かったし、日本の芝生とマッチしていてすごく履きやすかったです。
ゴン:僕はもうパラメヒコです。あと、皆さんに知って頂きたいのがジャスパーですね。ジャスパーは売れなかったんですが、この存在を皆さんに知っておいて頂きたい!この二つはとても印象的ですね。
−−−思い入れの強いスパイクと共に、そのスパイクで奪ったゴールというものがセットで印象に残っているのではないかと思います。それで言うとゴンさんはやはり98年W杯でのゴールだと思うのですがいかがですか?
ゴン:そうですね。あの時もパラメヒコですね。ずっとパラメヒコなんですよ。僕の心残りはアルゼンチン戦の時に、パラメヒコのポイント取り替え式の方を履いてしまったことです。それまではずっとこだわって、違う方を履いていたのですが、アップの時にバティストゥータが取り替え式を履いてたんですよ。それを見て『じゃあ、俺も取り替えにしよう』となってしまった自分の弱さに情けなさを感じました。
−−カズさんもゴールとスパイクをセットで考えると、感動的な色んなゴールがあると思いますがいかがですか?
카즈:チャリティーマッチやオールスターの時に、必ずプーマの方がその試合用に用意してくれるんですけど、アップで試して履いた後、本番ではいつも履いてる試合用を履いちゃうんですよ。だけど、あのチャリティゲーム(2011年東北地方太平洋沖地震チャリティーマッチ)だけは、用意されたやつをたまたま履いたんです。いつも持って来てくれる方がいるんですけど、持ってきたやつを履いてないと、泣きそうな顔をするんで。あの試合は用意してくれたのをぶっつけ本番で履いたんですよ。
ゴン:よくぶっつけ本番で履きましたね。ふつう絶対しないでしょ。
카즈:そうなんですよ。あの試合はたまたまでしたね。
−−−話題に上がったパラメヒコ同様、今回発表された「evoTOUCH J」も日本製ですが、印象はいかがですか?
ゴン:軽いですよね。
카즈:今のスパイクは軽いですね。ハイカットになってても軽いですね。
ゴン:ステッチがなくなってる。言っちゃ悪いんですけど、僕ステッチが好きなんです。パラメヒコも更に4本ステッチを入れてくれとか、伸びないようにしてくれと要求しているんですけど、これはなくても伸びないんですよね?素晴らしいです。
카즈:日本人には履きやすいと思う。さっきちょっと履いたけど、最初の履き心地が良かったです。
ゴン:これはアップ無しで試合で使えますか?
카즈:使えるね!
ゴン:臨機応変に使えるということですね。
카즈:これでボール蹴ってみたいですね。
ゴン:日本だけでなく、世界でもこれから使用されていくということですか?
−−−そういう展開になっていきますね。
카즈:ヨーロッパでやっている選手も履くんですか?
−−−履く機会はありますよね、もちろん。デザインはどうですか?
ゴン:今は派手ですよね、白、黄色、ピンク、赤…いろいろありますよね。カズさんはどうなんですか?
카즈:そのへんも全くこだわりがなくなっちゃいました。
−−−昔はカラーが目立つのは履くなと言われてましたもんね。
카즈:そうですね。ブラジル時代は黒ベースで白ラインが入っているのが主流でしたから、派手なのを履いていたらチームの人に結構言われましたよ。『今日のプレーが悪いと叩かれるから、それを履くな』って。
ゴン:今は黒が珍しいですよね。グラウンド上で黒いスパイク履いている人が少なくなっちゃいましたもんね。でもやっぱ黒でしょ!黒に白がいいかな。黒に赤も好きでしたけど、黒にした方が良いなと。ゲン担ぎしちゃうんです。ずっとそれを履いてきたんだから、続けないと悪くなっちゃうんじゃないかなとか思っちゃいます。
あとは靴ベロの長さもそうですね。パラメヒコはでっかいのがあったんですが、それに自分のサインを書き込むのが一番好きな作業でした。カズさんは最初、刺繍が入ってましたよね。僕はそれに憧れて最初はマジックで書いていたんですが、そのうち刺繍を入れてもらえるようになりました。
−−−話を伺っていると、こだわりがいっぱいありますね。刺繍でメッセージ性の強いものもありましたよね?
카즈:そうですね。日の丸を入れてもらったりとか。まだ当時、それこそ20年以上も前のことですけど、好きなロゴを入れたりするのはなかったですから、珍しかったですよね。
ゴン:走りですよ。カズさんが1番最初だったんですよ。ドーハのときも手書きだったんですよ。帰ってきてから、刺繍が入るようになったんですよ。
−−−カズさんが高校1年生の12月にブラジルへと渡って34年が経ちますが、今でも思い出したりしますか?
카즈:しますね。先週、久しぶりに息子と2人で静岡に帰ったんですけど、静岡駅から旅立った時の話を丁度してたんですよ。「ここからブラジルに行ったんだよ」って。
−−−evo TOUCH Jの新CMについてはいかがですか?
ゴン:あれ藤枝東ですよね?! あれは藤枝東ですよ! あの廊下と廊下の引き扉とか! 今、藤枝東は人工芝になってますもんね。僕は知ってます!
카즈:僕は静学にいた期間が短かったから、全然覚えてない。
ゴン:静学も変わってますよ。
카즈:通ってた場所になかったから。最後に行った時は更地だった。笑 移転したんでしょうね。
−−−今の高校生と、ご自身の高校時代の違いはありますか?
ゴン:技術が非常に長けているなと。あと、戦術重視で戦っているなと。自分たちのときは、あそこまで細かい戦術はなかった。僕がいた頃は堅守速攻という形だったんで。
카즈:あるじゃない!
ゴン:でも、そんなに細かい戦術はあまり記憶にない。あったのかもしれないけど、僕はとにかく裏に走っていただけだったので。
−−−カズさんは高校時代はほぼブラジルでしたが、どのように感じられておりますか?
카즈:戦術ありきになっているところがあるので、自分で考える力がなくなってきているのかなと思いますね。日本人の欠点としてよく言われているけど、選手が試合中、ベンチを見ているっていうね。僕はブラジルにいましたけども、ブラジルの子供たちの高校生年代には無いことです。
やりかたはあるにしても、グラウンドの中ではほとんど自分で判断して、自分でやっていきます。ですが、日本人は勝っているときに守るのか、攻めるのかをベンチに向かって聞いてますから、高校生はそういうとこがありますね。
ゴン:それこそ今、養わないといけないと周りが動いていることだと思うんですよ。判断力だったり、そういうことがグラウンドの上でなされれば、自立もできるだろうし、自分たちがどうやって攻めるのか、守るのかに繋がっていくんじゃないかなと思います。
僕、高校3年でカズさん見たときに強烈でしたよ。もう、またぐまたぐ。その時、僕ディフェンスやってましたから。負けるたびに坊主でした。まだその時はカズさんじゃなくて、『カズ、スゲー』って言っている時代でした。大学卒業してすぐブラジル留学させてもらった時に、サントスのカズがいたんですよ。
카즈:前座試合に出てたよね。サントスがモジミリンのホームに行っていたんですけど、モジミリンとどこかのクラブが試合していて、サテライトみたいなチームでゴンちゃんが試合に出ていた。その試合の後、2人で会ったんです。
ゴン:帰国する直前にまたサウナで会ったんですよ。 きーちゃんもいたね。笑
카즈:北澤がホンダでプレーしていて、留学していたんですよ! 黒崎とね。
ゴン:北澤と黒崎がサンパウロFCに3カ月留学していたんです。そういう時代ですよ。きーちゃんはまだ長髪じゃなかったよね。
카즈:ゴンちゃんがヤマハに入って留学して、ホンダも若い選手をブラジルに送っていたんですよね。
ゴン:今、ヨーロッパに行く人が多くなっているけど、ブラジルに行く人はほとんどなくなっている。でも、ブラジルに行ったらハングリーになりますよね。
카즈:そうね。ウチの若い選手も3年前にブラジルに行ってたのがいた。やっぱりレベルが高いって言ってましたよ。
ゴン:サッカーのレベルも高いですし、物もパクられる。だからそこでディフェンス力も鍛えられる。笑
카즈:危機管理がね。笑 全てがトレーニングだった。盗まれなかった?
ゴン:僕は危機管理能力が高いので大丈夫でした。常にスーツケースに鍵かけてました。
−−−カズさんにとって、プロとしてのサッカー人生は来シーズンで32年目になり、お二方とも来年で50歳ということですが、いかがでしょうか。
카즈:そうですね。頑張りたいですね。でも、やるからには役に立たないといけないんでね、しっかり準備して、ピッチにevo TOUCH Jで立ちたいですね。
ゴン:どういう形で関わるかわからないですけど、やるんだったら、チームのためになるように努力していきたいですし、やる以上は高いところを目指して日々挑戦していけたらと思います
取材協力/PUMA JAPAN
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