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メンタル崩れるも…3度目の世界一を後押しした“心の支え”。プロフットバッグプレイヤー・石田太志が感謝する応援のチカラ「気持ちが和らいだ」

2018年にアジア人初の2度目の世界一を達成し、世界最高峰の選手の証である殿堂入りも果たしたプロフットバッグプレイヤー・石田太志。今年の7月から8月にかけて開催された世界大会(カナダ・モントリオール)では、6年ぶり3度目となる世界一に輝いた。さらに、競技普及活動など貢献度が評価され、業界全体でも殿堂入り。いまやレジェンドとしてフットバッグ界の最高峰に位置する存在となった。そんな石田への全3回のインタビュー企画、最終回となる今回は、新たな称号として手に入れたギネス世界記録の裏話、先日の世界大会での出来事や、“次なる目標”について語ってもらった。※メイン画像撮影/長田慶

아이콘 1482131451808사토 主祥 | 2024/10/09

フットバッグでギネス世界記録認定!競技の認知拡大へ向けた施策

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촬영/나가타 케이

ーー2018年に2度目の世界一と殿堂入りを達成された石田さん。2020年からは新型コロナウイルスが流行し始めましたが、その頃の活動は大変だったのではないですか?

そうですね。選手活動の方でいうと、2020〜22年まで世界大会がオンライン開催になりました。ライブ配信ではなく、選手自らが演技の映像を撮影して、それを大会側に提出するという形式です。しかもその映像は何回でも撮り直し可能と、本番の緊張感を感じることができない状況での大会でした。

僕はどちらかというと、メンタル面の強さで勝ってきたタイプだったので、いままでと勝手が違う大会形式にはだいぶ苦戦しましたね。

そのほかの活動としては、新潟県三条市と提携し、その地域の小学校で体育の授業を教えたり、イベント出演したりと、町おこしの活動に参加させていただいてました。

ーーたしか新潟でギネス世界記録に挑戦されていましたよね?

はい。2021年3月に新潟県庁屋外敷地でフットバッグのギネス世界記録にチャレンジしました。内容としては、片足だけでジャグリングのように「Bag(バッグ)」と呼ばれるボールを入れ替えながら落とすまでの回数を競うというもの。

この挑戦は撮影して映像を送るだけでよかったので、道端でやってもよかったんですけど。県庁の方とはイベント出演をきっかけに知り合いになっていたので、せっかくなら新潟のPRも兼ねて県庁の敷地内で挑戦させてほしいと交渉し、実現したというわけです。

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촬영/나가타 케이

ーー当時の世界記録はカナダ選手の71回でしたが、更新する自信はありましたか?

正直いけそうだなと。感覚として150回ぐらいはできると思ったので。ただ、本番で記録は塗り替えたものの、75回と僅差での更新でした。じつはこれ、1回のチャレンジで終えたんですけど、何回でもチャレンジできる感じもあったんですよ。だけどメディアの方が結構いらっしゃったので、何回もやるのはアレかなと(笑)。

なので、いまは75回の記録にとどめておいて、誰かが更新したらまた挑戦しようかなと思っています(笑)。というのもギネス記録って、いかにビジネスを絡められるかが重要だと思っていて。

メディアの方に取り上げてもらえる可能性が高いわけですから、世界記録を塗り替えれば、フットバッグを知ってもらう大きなチャンスになる。そのためのチャレンジでもありましたし、実際にこのニュースをきっかけに競技の認知度が高まったのは事実。今後も、大会以外にこういった認知拡大に有効な施策やツールがあれば、積極的に参加していきたいと思っています。

3度目の世界一、メンタル支えた周りからの言葉

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촬영/나가타 케이

ーーその後はコロナの感染拡大も徐々に落ち着き、フットバッグの競技シーンも通常通りに試合が行われるようになりました。そして先日、石田さんは世界大会(カナダ・モントリオール)に出場し、「シングルルーチン(フリースタイル)」部門で初優勝、3度目の世界一を達成されました。優勝された過去2大会と比べて心境の違いはありましたか?

以前はクラウドファンディングで個人からのサポートを受けていたんですけど、いまはスポンサー企業から資金や物品の提供をしていただいているので、背負うものが増えたという意味ではプレッシャーの違いはありました。

あとは2018年大会以降、優勝から遠ざかっていたので、大会に臨む上での気持ちの変化もあったと思います。これまでの世界大会で、2位や3位も経験したことがあるのですが、ほぼ無に近いというか。「頑張ったね」と言われることはあっても、興味を示してもらったり、ちゃんと見てもらえることはありません。

フットバッグの認知拡大や、スポンサー企業のPRを考えても、1位以外の順位では意味がない。優勝だけを狙うっていうのが、心境としてはいちばんシビレましたね。

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촬영/나가타 케이

ーーしかも、まだ優勝経験のないシングルルーチン部門での初戴冠。その要因はどこにありましたか?

開き直りじゃないですけど、それぐらいの気持ちで決勝戦に臨めたのが大きかったように思います。というのも、予選と準決勝までは順当に1位通過できたのですが、その後に「シュレッド30(サーティー)」部門の試合があったんですけど、そこで盛大にミスをしてしまって……全然ダメだったんですよ。いちばん自信のあった種目だったのに。

その影響でメンタル面のコントロールが難しくなり、それ以降の種目に対して「うまくいくかな……」と不安ばかりが先行してしまって。結局、最後まで嫌な緊張感で、足の感覚がずっと変なままでした。

そのなかで、FacebookなどのSNSで応援してくれる人たちの言葉や、サポートしてくれている企業の方々、家族の存在に励まされました。みんなから「(結果は)べつにいいから、楽しくやってきなよ」と言ってもらえて、すごく気持ちが和らぎました。そのおかげで、決勝までに落ち着きを取り戻せたのかなと思います。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

ーー多くの支えが石田さんの背中を後押ししてくれたのですね。迎えた決勝の舞台はいかがでしたか?

100%の演技ができたかというと、そうではなかったです。1回ミスをしてしまいましたし、ノーミスで終えた選手がひとりいたので、「うわ、こっちに点数いっちゃうかな」と負けを覚悟しました。けど、最終的にはその選手が2位、僕が1位という結果でした。おそらく芸術点で上回ったのだと思いますが、最後は本当にドキドキしました。選ばれて本当によかったです。

石田太志の新たな挑戦。世界大会の日本開催実現へ

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촬영/나가타 케이

ーー2018年大会後に掲げた「シングルルーチン部門での世界一」という新たな目標も、見事に達成されましたね。

もちろんまだ優勝していない種目はありますが、シングルルーチン部門、シュレッド30部門、そして総合優勝と、メインと言えるタイトルは取れたかなと思います。とくに今回のシングルルーチン部門の優勝は、フットバッグ界の人たちからも認めてもらえる結果になると思うので、すごく納得感はありますね。

加えて、再び殿堂入りも達成することができました。2018年の時は選手としての殿堂入りでしたが、今回はフットバッグ界への貢献度が認められての選出なので、本当に嬉しいです!

それと今回の優勝で、数字の法則じゃないですけど、面白い発見があったんです。僕、2004年に開催されたカナダのモントリオール大会で初めて世界大会に出場したんですけど、その10年後に初優勝、そのまた10年後の今年は20年前と同じ舞台で世界一になるという(笑)。10年刻みで結果が出るというのが、運命めいたものを感じて面白いなと思いました。

ーーたしかに。では、10年後の2034年でもなにか結果を残すかもしれませんね。

50歳……そうですね(笑)。でもじつは、30代と40代で世界一になったのは、僕が初めてなんですよ。フットバッグはスケートボードと同様に、10〜20代が強いので。今年でちょうど40歳になりましたが、まだ衰えている感覚はないので、できるところまで頑張ります。

ーー今後に向けて、新たな目標を聞かせてください。

はい。できるだけ長く「世界一のフットバッグプレイヤー」として活動していきたいので、来年以降も世界大会で優勝できるようにしたいですね。過去の世界王者より、リアルタイムで世界一の称号を手にしている選手の方が、言葉の影響力は大きいと思うので。より多くの人にフットバッグの魅力を伝えるためにも、継続して頑張ります。

また、世界大会を日本で開催してほしいというリクエストがかなり多いので、今後はオーガナイザーを務めることも視野に入れて動いていきたいなと思っています。

ーーそこで石田さんが世界一になれたら最高ですね!

そうですね。その最高な景色を見られるように頑張っていきますので、応援よろしくお願いします!


이시다 타이시 (이시다 · 타이시)
가나가와현 요코하마시 출신의 프로 풋백 플레이어.
고등학교까지 12년간 축구를 경험. 대학 입학 직후 스포츠숍에서 해외 플레이어의 풋백 영상을 보고 충격을 받은 것을 계기로 풋백을 시작한다. 2006년에 캐나다에 유학. 어학을 배우면서 풋백 기술을 연마해 같은 해 일본 전국 대회 'JAPAN FOOTBAG CHAMPIONSHIPS'에서 첫 우승을 장식했다. 대학 졸업 후는 주식회사 콤데 갤슨에 취직했지만, 풋백의 보급·인지 확대를 목표로, 2011년 8월에 퇴직. 독립적으로 일본인 최초의 프로풋백 플레이어로서 활동을 시작한다. 2014년에는 세계대회인 'World Footbag Championships'에서 첫 우승, 아시아인 최초의 세계 제일에 빛났다. 2018년에는 2번째의 세계 제일에 더해, 아시아인으로 처음으로 풋백계의 전당들이도 완수한다. 이는 약 600만명의 플레이어 중에서 지난 50년 동안 83명만 선출되고 있다. 이듬해에는 전미 선수권 「Footbag US Open Championships」에서 첫 출전, 첫 우승을 이루고, 사상 최초의 일본과 미국, 2개국의 챔피언에. 2021년에는 기네스 세계 기록 보유자가 되었다. 2024년에는 3번째 세계 제일을 달성해 경기 보급 등 풋백계에의 공헌도가 인정되어 다시 전당에 들어갔다. 또, 일본에서 유일한 프로 풋백 플레이어로서 미디어 출연이나 퍼포먼스 활동, 강연 등도 정력적으로 실시하고 있다.


사진:오사다 케이