
日本プロ野球の伝説に残る開幕戦、栄光と挫折が交差する名試合をプレーバック!
3月28日(金)からセ・パ同時にペナントレースが開幕。優勝を目指すにはスタートダッシュが必要不可欠のため、開幕戦は各チームのエースが直接対決することになる。それゆえ、過去を振り返っても開幕戦では数多くのドラマが生まれている。ここでは、プロ野球の長い歴史でも特にファンの心に残っている伝説的な試合を紹振り返る。※トップ画像出典/photoAC

大物ルーキー・長嶋が屈辱の4打席連続三振
プロ野球の歴史に残る開幕戦といえば、のちに“ミスタープロ野球”と称されるようになった長嶋茂雄のデビュー戦だろう。長嶋は、当時の東京六大学リーグの本塁打記録を更新した立教大学のスラッガーとして鳴り物入りで読売ジャイアンツに入団。学生野球全盛期ということもあり、マスコミから大きな注目を浴び続けながらオープン戦では7本塁打を放つなど、プロでも通用することを存分に披露していた。
迎えた1958年4月5日の開幕戦。ジャイアンツは国鉄スワローズ(現ヤクルト)と対戦することに。そこで、長嶋はプロの洗礼を浴びることになる。マウンドに上がったのは球界トップの剛速球を誇るサウスポーで、すでに180勝超えをしていた金田正一。人気球団に入ったスーパールーキー・長嶋に敵意むき出しの金田だったが、心中は冷静だった。初球は自慢のストレートで空振りを取るも、その後は大きく縦に割れるカーブを巧みに使いながら三振を奪う。長嶋もフルスイングで対抗するが、まさかの4打席連続三振を喫してしまったのだ。しかも金田が長嶋に投じた全19球のうち、バットに当たったのはファールになった1球のみ。鮮烈デビューを狙っていた長嶋はプロのレベルの高さを思い知ったのだった。
しかし、長嶋のシャープなスイングを目の当たりにした金田は「いつかは打たれる。負けるものかと思ってさらに猛練習をやった」と後述している。一方、屈辱に奮起した長嶋は新人ながら打率.305、29本塁打、92打点、37盗塁で本塁打王、打点王をマークし、スター街道をまい進していくのだった。
これぞ野村再生工場、小早川毅彦が3連発で奇跡の復活
1997年4月4日のヤクルトスワローズ対読売ジャイアンツも、野球ファンの記憶に残る開幕戦だ。ジャイアンツのマウンドに上がったのは、前年に沢村賞を受賞して前人未到の4年連続開幕戦完封勝利の偉業を狙っていたエース・斎藤雅樹。しかし、斎藤はその記録を止められるどころか、屈辱を味わうことになる。その立役者となったのは、前年に広島東洋カープを自由契約になり、ヤクルトに拾われた左のスラッガー・小早川毅彦だった。
小早川は1984年に入団すると16本塁打を放ち、新人王を獲得。“赤ヘルの若大将”の愛称で活躍していたが、若手の台頭もあり1994年からは出番が激減していた。そんな小早川を蘇らせたのは、ヤクルトの名将・野村克也監督の「大学でも1年から4番を打った。プロでも新人王を獲って優勝した。お前は1年目がいいんや。絶対に活躍できる」という言葉だった。ボヤキで知られる野村からの励ましに奮起した小早川は万全の状態で開幕を迎えた。すると、2回に小早川は斎藤のストレートを捉えて576日ぶりとなるホームランを放つ。ここで野村監督から小早川に「斎藤は3ボール1ストライクになったら必ずカーブや」という助言が入る。その言葉を信じた小早川は第2打席で読み通りにカーブをスタンドに叩き込み、さらに第3打席でも「もうカーブは来ない。シンカーだ」という野村の言葉を頼りに3打席連続でホームランを放ってみせたのだ。
戦力外通告から復活を遂げたベテランの活躍をきっかけに、その年ヤクルトはリーグ制覇を果たした。
ノーヒットノーラン寸前からの逆転サヨナラ負けした野茂英雄
最も劇的な展開になった開幕試合といえば、1994年4月9日の西武ライオンズ対近鉄バファローズだ。近鉄の開幕投手は、ルーキー時代に投手タイトルを総なめし、4年連続2桁勝利をマークしていた絶対的エース・野茂英雄。ダイナミックなトルネード投法から繰り出される落差のあるフォークボールが武器で、常勝球団だった西武も苦戦していた。
この日も野茂が圧巻のピッチングを披露。フォークにタイミングが合わず8回まで12三振を奪われて、強力な西武打線も完全に沈黙した。一方、西武のエース・郭泰源も150キロ近いストレートを武器にスコアボードに0を並べていく。ところが、郭は9回に近鉄のスラッガー・石井浩郎に3ランホームランを浴びてしまう。これで野茂のノーヒットノーランは確実かと思われたが、そうはうまくいかなかった。
あと3人という緊迫ムードの中で、野茂のライバル・清原和博は冷静だった。直球勝負を選んだ野茂の甘いボールを右方向に弾き返して2ベースを放ち、史上初の「開幕戦ノーヒットノーラン」は潰えたのだった。さらに、野茂に代わって登板したリリーフエース・赤堀元之が伊東勤に逆転サヨナラ満塁ホームランを打たれてしまい、野茂にとってはむしろ“最悪の一日”になってしまった。
“史上最弱”と呼ばれた楽天が岩隈の快投で開幕勝利
感動に包まれた開幕戦といえば、2005年3月26日の東北楽天ゴールデンイーグルス対千葉ロッテマリーンズだろう。前年に球界再編問題が勃発し、新規参入球団として産声を上げた楽天はお世辞にも強いと言えるチームではなかった。評論家の順位予想は大半が最下位。なぜなら、チーム編成は大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブに所属していた選手を分配する形で行われたものの、オリックスが先に25名をプロテクトする権利を持っていたため、楽天に1軍クラスの選手はほぼ残っていなかったからだ。自ら志願して楽天を選んだ岩隈久志や礒部公一らを除いては、ベテラン陣に頼らざるを得ないチームは不安を抱えたまま開幕戦を迎える。
マウンドに上がったのは若きエース・岩隈。ひたすら球団合併に疑問を投げかけていた岩隈はクールに闘志を燃やしていた。140キロ台後半の速球と変化球をひたすら低めに集めて、ロッテ打線を手玉に取っていく。気迫の投球に野手陣も奮起し、しぶとい打撃で効果的なタイムリーを放ち、3対1で白星をもぎ取ったのだ。岩隈は5安打1失点で完投を成し遂げた。
予期せぬ最高な幕開けに初代監督・田尾安志も「この勝利は選手にとって大きな勇気になる」と目に涙を浮かべて喜んだ。ところが、楽天は翌日のロッテ戦で0対26という記録的大敗を喫し、シーズンでは97敗をしてしまう。シーズン終了後、開幕戦勝利がいかに奇跡的だったかが判明したのだった。
今季の開幕戦も、ドラマチックな歴史的な展開になることを期待したい。