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英雄たちが愛した歴史的スパイクVOL.66 「停戦と平和を願って編」

ロシアからもウクライナからも貴重なビンテージスパイクを購入したことがありますが、なぜこんなことになっているのか…。つたないコレクションの中から平和を願ってウクライナ国旗色のスパイクを集めて表紙画像にしてみました。

아이콘 29634314 1815368455432881 1085668874 o코니시 히로아키 | 2022/04/01
   せっかく日本代表が7大会連続のW杯出場を決めたのにもかかわらず、心から喜べないのは戦争勃発のせいだと思います。 なぜ前回のW杯開催国がこんなことをするのか?

私が初めてウクライナの都市の名前を覚えたのは「ディナモ・キエフ」の存在を知った時だと思います。
今回は1日も早い停戦とウクライナの平和を願い、「ディナモ・キエフ」やウクライナにゆかりのある名選手のスパイクについて書かせていただきます。
図1は1986年のヨーロッパカップウィナーズカップ決勝のディナモ・キエフのイレブンです。旧ソ連代表選手を多く擁した強豪チームで、中でもブロヒン選手とベラノフ選手はバロンドールを獲得した名選手でした。  

엄지 efbc92그림 1 元祖「ウクライナの矢」ブロヒン選手(後列右から二人目)。86연도 W杯でハットトリックも達成したベラノフ選手(前列右から二人目)。 

旧ソ連代表選手は、私がサッカーを見始めた80年代前半からずっと、上から下までアディダス用品を使っていました。 ブロヒン選手は72年、76年の五輪で銅メダルを獲得し、W杯には82年、86年大会に出場しました。ウクライナ代表監督歴もあります。
図2は82年大会の予選で、ワールドカップ78하나ワールドカップを履いています。

엄지 efbc93 그림 2 スペインW杯予選(81年)の対ウェールズ戦。時期的にはワールドカップ78(右上)ではなく、ワールドカップを使っていたと思われます。 

 80年代の快足FW=ブロヒン選手というぐらい足が速いことで有名でしたが、82年本大会では固定式モデルも履いていました(図3)。 この大会でデビューした코파문 디알かもしれませんが、その前のモデルのスーパーカップだったかもしれません。

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그림 382연도 W杯で、このころ登場した黒いスタッドの固定式モデルを履くブロヒン選手。かかとの白い部分の形状や3本線の太さからするとスーパーカップのように見えます。 右上はオリジナルのコパムンディアル、右下はスーパーカップのレプリカモデル 

86年大会は、ブロヒン選手は現役晩年でしたが得点も決めました。その時のスパイクはこの大会でデビューしたFX1でした。また、クラブチームでは、FX1同様、86年大会用モデルだったStratos SLを使っていました(図4、5)。

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그림 4 FX1を履いて86연도 W杯でプレーするブロヒン選手。FXシリーズは当時新開発のワンタッチで着脱できるスタッドシステムでした。

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그림 5
 Stratos SLを履いてプレーするブロヒン選手。市販は3本線などが銀色でしたが、86연도 W杯では白にする選手が多くいました。シュータンのマークの違いなど、かなり多様性があります。
 

 さて、ベラノフ選手は86年大会での活躍が印象的ですが、その時は銀色ラインのStratos SLを履いていました(図6)。

엄지 efbc97그림 6 Stratos SLを履いて86연도 W杯でプレーするベラノフ選手。マークするフランスのボッシ選手はこのころでは珍しいフランス製イベリカ(右)を使っていました。 

 ウクライナ出身ではないですが、旧ソ連代表には現ベラルーシ出身の選手もおられました。当時はまったく知りませんでした(図7)

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図7 88
년 유로でのゴツマノフ選手とアレイニコフ選手。お二方ともベラルーシのご出身です。ゴツマノフ選手はFX2(右上)を、アレイニコフ選手はWorld Classを履いていました。
 

アレイニコフ選手は86年W杯のロングシュートが忘れられません(アシストはベラノフ選手)。また、ガンバ大阪でもプレーされました。
同じガンバ大阪でプレーされたプロタソフ選手はウクライナご出身でディナモ・キエフでも活躍され、88年EURO(図8)、90年W杯にも出場されました(図9)。

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図8 88
년 유로のプロタソフ選手のスパイクは、この大会でデビューしたEUROPA CUP이었다.


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図9 90
연도 W杯でプレーするプロタソフ選手(左上)。スパイクはこの大会でデビューしたWORLD CUP SL(右上)。この固定式モデルはWORLD CHAMPIONでウクライナ出身のドブロヴォリスキー選手が使っていました。
 

というわけで、旧ソ連時代のキエフ、ウクライナ関連の名選手のモデルは80年代から90年初頭のアディダスの名品の歴史でもあります。
中でも3マテリアルソールになったワールドカップは多くの選手に愛用されました。 その歴史はロシアになってからも、94年W杯得点王、2代目「ウクライナの矢」に受け継がれました(図10)。

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図10 アディダス・ワールドカップを履いて活躍するディナモ・キエフOB選手。左から84年ブロヒン選手。マーカーは80年代では極めて珍しかったニューバランスのスパイクをこよなく愛したロブソン選手(イングランド)。88년 유로のベラノフ選手。94연도 W杯得点王サレンコ選手。リーボックと契約していたようですが、ラインを改変したワールドカップも履いていました(富越正秀さん撮影)。右端はお若いころのシェフチェンコ選手。
 

82年W杯のころデビューした新型(?)ワールドカップは現在も製造されています(図11)。 さすがにトップレベルの選手で使っている人はもういないと思っていましたが、最近は浦和レッズのショルツ選手がコパムンディアルとともに愛用しています。 クラシックモデルファンにはうれしいことです。

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図11 アディダス・ワールドカップ。デビューしたころは
「82がついていました(左)。
以降、時代によって少々違いがありますが、基本的にはほとんど同じです。   

最後に、
旧ソ連があったころ、サッカー日本代表にとって世界の舞台ははるかに遠い存在でしたが、ソ連は必ずどの国際大会も当たり前のように出場していました。 最近、サッカーについては、立場が逆転した感が若干ありますが、私の年代にとってやはりロシアはサッカー強豪国のイメージがあります。 しかし、独裁者の暴走により、ソ連時代の栄光は泥に塗られ、今後しばらくロシア代表の国際舞台での活躍は無理な感じです。  

 たった4年前にサッカーの祭典を招致・開催し、世界のレジェンドたちと言葉を交わした人間が、なぜこんな世の中にしてしまったのか…。

あの方が生きていたら説得してくれたのではないか…。

「神」が降臨してほしいです。  

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그림 12
 上はマラドーナさんとプロタソフ選手(88年)。マラドーナさんは国際大会デビューした79연도 Wユースで、ソ連を決勝で破って優勝しました。

サッカー界からも多くの反戦メッセージや支援が寄せられていますが、権力を嫌い、神業プレーで戦争の仇を打ち、人一倍母国を愛したマラドーナさんが生きておられたら、下の写真の時のように蝶ネクタイの片方を青く塗って「戦争やめなさい」と諭してくれたんじゃないかと思います。  

(사진은 축구 매거진, 축구 다이제스트, 아프로 및 게티 이미지 등에서 전재했습니다)