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英雄たちが愛した歴史的スパイクVOL.65 「94年アメリカW杯予選編」

歴代日本代表チームで、世代的に最も印象深く、今も様々な記憶がよみがえるのが「ドーハ組」です。もちろん、選手のみなさんの名前は全員覚えていますが、あらためてW杯初出場を目指して戦ったスパイクをながめてみると、今でもよくわからない様々な疑問点があります。

아이콘 29634314 1815368455432881 1085668874 o코니시 히로아키 | 2022/02/25
30回目のJリーグが開幕しました。1993年開幕時の華やかさは今でもよく覚えていますが、はやくコロナ禍が過ぎ去って、あの時のようにスタジアムでたくさんのお客さんが観戦できるようになることを願うばかりです。

また、カタールW杯予選も終盤戦を迎え、ドーハ組のお一人の森保監督率いる日本代表が予選突破目前の状況で、ぜひ選手時代のリベンジと7大会連続出場を果たしてほしいものです。


巻頭画像の中央が、94年W杯最終予選時の森保選手です。申し訳ないですが、森保選手(北澤選手も)が当時使っていたディアドラに関しては知識がないので、他の選手のスパイクについて書かせていただきます。


これまでも何度か触れたお三方はこちらのモデルだったと思います。
カズ選手:スフィーダネーム刺しゅう入りモデル 
中山選手:パラメヒコのネーム刺しゅう入りモデル
ラモス選手:当時特注のアシックスXL-I
そして、堀池選手、勝矢選手はミズノのJリーグモデル라고 생각됩니다.
 図1は最終予選初戦(対サウジアラビア)の先発イレブンです。
  엄지 efbc92그림 1 キャプテン柱谷選手のスパイクはアシックスのシャぺ・クレウスではないかと思います(間違っていたらすいません)。ちなみにこれと似たモデルを韓国や北朝鮮の選手も使っていたようです。アディダスはGK松永選手と井原選手ですが、松永選手はワールドカップを(EURO PROというモデルかもしれません)、井原選手は見慣れない白いシュータンのモデルを履いていました。 

井原選手のモデルは長らく不明でしたが、最近似たようなモデルを入手しました(図2)
    엄지 efbc93그림 2 井原選手モデルらしきスパイク。側面には「SPECIAL」と記されています。 

井原選手は取替え式を履いていましたが、このシュータンの固定式モデルを後に中田選手や岩本選手が使っていたようです(図3)
   
엄지 손가락 efbc94 그림 394年の中田選手(左)と岩本選手(右画像の前列左端)。中田選手の画像はこちらのブログから転載させていただきました。この時の日本代表(ファルカン監督)の柱谷選手はアシックス2002に、井原選手はアディダス・クエストラに変更されたようです。 

さて、「SPECIAL」という響きは、スパイクおたくにはとても魅力的に聞こえるのですが、サッカーがプロ化される前後の日本では、サッカー人気も最高潮で、各メーカーや販売店により、多くの日本製特別モデルが作られ、販売されたようです。
図4はサッカーショップ加茂さんの限定モデルの広告(92年)とアディダスの「SPECIAL」モデルです(発売時期は不明)。  
  엄지 efbc95그림 4 加茂さんは80年代から時々、カタログにはない限定モデルを発売していました。右は一応、KAMOスペシャルということで入手したアディダスのモデル(上)と白いスフィーダ(下) 

ドーハ組で、カズ選手以外のプーマ愛用選手はほとんどパラメヒコを使っていたと思います。「メキシコW杯(86年)へ行こう」の目的で開発されたスパイクがパラメヒコでした。それは実現しませんでしたが、94年W杯で日本選手がパラメヒコを履いてW杯で活躍するのを見たかったですねえ。
    엄지 efbc96그림 5 最終予選時の吉田選手(左)と福田選手。お二人ともかかとに白いワンポイントがあるので、パラメヒコを履いていたと思います。 

Jリーグが始まったころは、サッカー人気にあやかって図6のような色えんぴつも発売されていました。
この写真は最終予選の半年ほど前の一次予選のもので、いろいろなものに使われていたと思います。
  엄지 efbc97그림 6 巻頭及び図1には入っておられない都並選手はプーマ、高木選手はアンブロのスパイクでした。申し訳ありませんが、アンブロのモデルもよく知らないのでスルーします。 

あらためて一次予選のメンバーのスパイクをもう一度よく見てみると、ここで個人的に大きな疑問を発見しました。 それは、スフィーダのカズ選手以外のプーマのスパイクは最終予選と同じく、パラメヒコだと思っていたのですが、実はあきらかに違うモデルでした(図7、8)
  엄지 efbc98그림 7그림 6のスパイク部分を拡大しました。上段は右からカズ選手(スフィーダ)、ラモス選手(XL-I)、吉田選手(プーマ)、高木選手(アンブロ)。下段右から都並選手(プーマ)、井原選手、松永選手(ワールドカップ)、柱谷選手(2002)。井原選手と柱谷選手は最終予選とは異なるモデルだったようです。左のお二人の審判のスパイクはプーマ・IJレセルバ。 엄지 efbc99 그림 8 プーマのモデルをさらに拡大しますと、吉田選手(上段)、福田選手、都並選手(下段)のモデルはいずれもかかとに白のワンポイントがなく、パラメヒコではありませんでした。 

よくよく目を凝らして図8のモデルを見ると、つま先はスフィーダか、このころ発売されたIJレセルバに似ている気もしますが、いまだにどういうモデルかわかりません。
 
図5のようにプーマを使っていた選手の多くが、最終予選ではパラメヒコにされたようですが、最終予選から出場した三浦泰年選手はパラメヒコではないモデルを履いていました(図9、10)   엄지 손가락 efbc91efbc90그림 9 最終予選の吉田選手(15)と三浦泰年選手(21)のスパイクは一見すると同じモデルに見えます。 엄지손가락 efbc91efbc91그림 10 最終予選初戦(左)とJリーグ(右)での三浦泰年選手。どちらのスパイクもパラメヒコとは、かかとやつま先の作りが違うようです。左の11番はカズ選手。今年はお兄さんが監督のチームでプレーされます。 

図10の三浦泰年選手のスパイクは、西ドイツ時代のベルトマイスターにも見えますが、93年ごろにはほとんど流通されていなかったと思います。Jリーグでも似たようなモデルを履いていたようで、それをよく見るとやはりアッパーはIJレセルバに似ている感じです(図10右)。
市販されたかはわかりませんが、IJレセルバの白シュータンモデルがあったのかもしれません。
 

Jリーグが始まって早30年が経ちますが、昭和のJSL時代に比べ、はるかに多くの鮮明な画像や映像が残されています。
開幕当時、それまではテレビや雑誌でしか見たことがなかった世界の有名選手たちがJリーグに集い、そこで披露した華麗なプレーの数々は今でも記憶に新しいですが、意外に当時のJリーガーはナゾなスパイクを履いていたことに気づくことがあります。
 図11はジーコ選手が鮮烈なハットトリックでJリーグデビューしたアントラーズのJリーグ初戦です(対グランパス)。

当時、ジーコ選手はプーマと契約しており、いくつかジーコ選手モデルもあったと思います。 アルシンド選手のスパイクもジーコ選手のモデルに似ていたと思っていたのですが、この試合は、それとはまったく違うパラメヒコに似たモデルを履いていました。 ただ、よく見るとパラメヒコではなかったようです。  

엄지손가락 efbc91efbc92그림 11 富越さんが撮影された記念すべきJリーグ初戦の鹿島アントラーズイレブン。アルシンド選手のプーマのスパイクは白シュータンですが、側面や後ろのデザインはパラメヒコとは異なるようです。 

その後すぐに、アルシンド選手は違うモデルに変更されたようで、今も図11のモデル名は不明です。
おそらく国産だと思いますが、プーマに限らず、この頃のアディダスやアシックスも少数限定モデルが数多くあったようで、開幕当時のJリーガーや日本代表選手のスパイクの全貌を把握するのは私には難しいようです。  


(写真はサッカーマガジン、アフロ及びゲッティイメージズなどから転載させていただきました)