장대 높이뛰기 일본 기록 보유자 '사와 노 대지」가 전하고 싶은 마음 vol.2 "육상계에 보답하고 싶다"
장대 높이뛰기 일본 기록 보유자 (5m83㎝)이며 리오 올림픽에서 7 위를 차지했다 사와 노 다이치 씨. 사와 노 씨는 선수 활동을 계속하는 한편으로, 일본 대학에서 강사와 장대 높이뛰기 지도자를 맡고있다. 바쁜 나날을 보내고 계속 사와 노 씨에게 올림픽 이야기와 앞으로의 전망에 대해 뜨겁게 말해 주었다.
사쿠마 秀実
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2018/04/12
vol.1「跳んでいる時やバーを越えた時が楽しい」
(写真:富士通スポーツ-ナノ•アソシエーション)
――澤野さんに影響を与えた先生方
澤野:色々ターニングポイントで力を与えくれた方々がいらっしゃいます。まず、棒高跳び勧めていただいた中学校の岩井先生、成田高校で陸上競技の基礎を教えていただいた越川先生、世界を目指すことを意識付けていただいた瀧田先生、今現在色々と教えていただいている日本大学スポーツ科学部長で、日本大学陸上競技部監督の小山先生との出会いは私にとって非常に大きいですね。
ポイントポイントで僕は人に恵まれているからこそ、今もこういう立場で競技を続け、あらゆる大会で結果を残すことができています。私一人では絶対無理ですし感謝の気持ちで一杯であります。
――オリンピックに出場してみて
澤野:夢だったオリンピックに初めて出たのは2004年のアテネ大会でした。この時身体の調子が凄く良くて、ウォーミングアップ場で「オリンピックでこんなに動ける!」っていうくらい嬉しくてしょうがなかったですね。試合当日、アテネの競技場に入場したとき約5万人もが満席で物凄い歓声で、その音がエネルギーとなっているのを感じ、感極まって泣いてしまいました。「あぁ、オリンピックってこうなんだ」と。
試合自体は一生懸命で必死にやって、やっとの思いで予選通過はしましたが、中一日で迎えた決勝の時はほとんど力残っておらず、結果は5m55cmで13位でした。
――世界トップクラスとの差
澤野:金メダル争いをしている2人のアメリカ人、トビー・スティーブンソン選手とティモシー・マック選手が戦っている姿を見て、「同じオリンピックファイナリストだけど、自分はまだ同じ舞台にはいない」と感じてしまいました。
それから、オリンピックに出場するだけでなく、世界の舞台で対等に戦いたいと本気で思うようになりました。この舞台で他の選手と駆け引きをしてプレッシャーを与えたりできるようになりたいと。
彼らと同じ土俵の上で戦うために、アテネ後からは海外に積極的に出るようになり、海外のグランプリを転戦し始めました。同じ土俵の上で戦うためには日本にいちゃいけないと思ったんです。アテネは一つの夢が叶ったのと同時に、次の夢や目標ができた大会でもありました。
――オリンピックで初の入賞、そして、今
澤野:2回目の2008年北京オリンピックでは、アキレス腱が痛くて思うような力を発揮できず予選敗退でした。怪我とはいえ自分の力を発揮しきれなかったのがとても悔しくて、ロンドンに向けてまた4年頑張りました。しかし、ロンドンオリンピック選手選考を兼ねた日本選手権では僅差で負けてしまい代表にはなれませんでした。
当時32歳で今後の事を考えた時、やはりオリンピックに出ないで引退するという選択肢はどうしても僕の中にはなかったので36歳でのチャレンジになりますが「リオを目指そう」と思い4年間頑張りました。その結果が、2016年リオオリンピックでの7位入賞となります。
リオオリンピックには心身ともにとてもいい状態で挑むことができ、今までの競技人生で1番の結果を残すことができました。実はリオオリンピックに出ても出られなくても引退しようと思っていたのですが、リオの結果により周りの応援してくれている人たちに物凄く喜んでいただけて、自分自身もとても幸せな気持ちになれました。痛いところもなく、技術的にもいい状態にあったため、自然とまだ続けたい、跳んでいたいという気持ちが生まれ現在も現役を続けています。
現在、陸上競技を行うときは富士通にお世話になっています。リオの後、富士通からは「澤野が続けたいと思うなら続けていいよ」と言っていただきました。これほど幸せなことはありません。この先の人生でどうなるか分かりませんが、続けることにも意味があると思いますし、何より環境を整えてくださっていることに感謝しています。
――日本大学の講師兼指導者として
澤野:現在、日本大学に講師として勤めています。教員としてはまだまだではありますが、日々一生懸命勉強しながらしっかりとした教員になっていきたいです。
指導者としては、今までやってきた棒高跳びを後世に伝え、陸上界に恩返しをしていきたいという想いがあります。僕が今まで日本の棒高跳び選手として数々の貴重な経験を沢山していることを伝えていきたいですね。自分が現役を続けていることで伝えられることって絶対にあると思いますし、それは辞めてから伝えることとは何か違う力を持っているはずです。
とはいえ、その中で今胸張って「東京目指します!」って言えないのも正直なところです。40歳でオリンピックに出た陸上選手って日本選手はほとんどいませんから。世の中は東京オリンピックに向けて話が進んでいるし、盛り上がっていますよね。僕は1年1年色んなことを試して新しいことを発見しながら頑張り続けて、結果的に東京オリンピックに繋がれば良いと思っています。
(写真:富士通スポーツ-ナノ•アソシエーション)
――指導者としての魅力
澤野:指導した選手が変わってくれることが面白いですね。教えている中で動きが変わったり、選手が感覚やコツを掴む瞬間があります。でも、それらは僕の言葉だけでは選手に伝わらないので、色んな角度から引き出して伝えて、それに気づいた瞬間の動きや選手の「できた!跳べた!」という顔を見ると僕自身嬉しくなります。さらに強くなって成長してくれる彼らは、僕にとっても刺激になりますからね。
教え子の中からオリンピックで入賞したりメダル獲得にまで繋がれば、彼らの周りにいる人たちも喜んでくれるでしょうし、選手本人にとっても幸せなことだと思います。
- 앞으로의 전망에 대해
澤野:棒高跳びで日本記録を保持している1人の競技者として、恥ずかしくない教養などを身に着けていきたいと思います。そして、今でも色んな方にお会いすることもあるので、その縁を大切にしながら自分の人生をしっかりと地に足を着けて送っていきたいです。棒高跳びとは反対ですけどね(笑)。
――最後に、澤野選手から質問
「棒高跳びでは、何が一番大切だと思いますは?」
著者:ポールをはめるところだと思います。
澤野:皆さん、「ポールを突っ込むところ」であったり「空中」と言いますが、実は「助走」が一番大切なんですよね。助走がしっかりしていなければ、高く跳ぶことはできません。つまり、土台がしっかりしていれば高く跳べるわけです。スピードや技術的なものもありますが、助走ができていないと上には行けません。だからこそ、地に足を着けた人間になっていきたいですね。 (了)
澤野大地(さわのだいち)
~プロフィール~
棒高跳び選手(富士通所属) 日本大学スポーツ科学部講師
1980年生まれ 大阪府出身
出身校:印西中(千葉) 成田高(千葉) 日本大学
自己ベスト:5m83㎝(日本記録)
主な代表歴:オリンピック(16リオ、08北京、04アテネ)
世界選手権(13モスクワ、11テグ、09ベルリン、07大阪、05ヘルシンキ、03パリ)
取材協力/日本大学スポーツ科学部
写真提供/富士通スポーツ-ナノ•アソシエーション
취재 사진 / 사쿠마 秀実
(写真:富士通スポーツ-ナノ•アソシエーション)
――澤野さんに影響を与えた先生方
澤野:色々ターニングポイントで力を与えくれた方々がいらっしゃいます。まず、棒高跳び勧めていただいた中学校の岩井先生、成田高校で陸上競技の基礎を教えていただいた越川先生、世界を目指すことを意識付けていただいた瀧田先生、今現在色々と教えていただいている日本大学スポーツ科学部長で、日本大学陸上競技部監督の小山先生との出会いは私にとって非常に大きいですね。
ポイントポイントで僕は人に恵まれているからこそ、今もこういう立場で競技を続け、あらゆる大会で結果を残すことができています。私一人では絶対無理ですし感謝の気持ちで一杯であります。
――オリンピックに出場してみて
澤野:夢だったオリンピックに初めて出たのは2004年のアテネ大会でした。この時身体の調子が凄く良くて、ウォーミングアップ場で「オリンピックでこんなに動ける!」っていうくらい嬉しくてしょうがなかったですね。試合当日、アテネの競技場に入場したとき約5万人もが満席で物凄い歓声で、その音がエネルギーとなっているのを感じ、感極まって泣いてしまいました。「あぁ、オリンピックってこうなんだ」と。
試合自体は一生懸命で必死にやって、やっとの思いで予選通過はしましたが、中一日で迎えた決勝の時はほとんど力残っておらず、結果は5m55cmで13位でした。
――世界トップクラスとの差
澤野:金メダル争いをしている2人のアメリカ人、トビー・スティーブンソン選手とティモシー・マック選手が戦っている姿を見て、「同じオリンピックファイナリストだけど、自分はまだ同じ舞台にはいない」と感じてしまいました。
それから、オリンピックに出場するだけでなく、世界の舞台で対等に戦いたいと本気で思うようになりました。この舞台で他の選手と駆け引きをしてプレッシャーを与えたりできるようになりたいと。
彼らと同じ土俵の上で戦うために、アテネ後からは海外に積極的に出るようになり、海外のグランプリを転戦し始めました。同じ土俵の上で戦うためには日本にいちゃいけないと思ったんです。アテネは一つの夢が叶ったのと同時に、次の夢や目標ができた大会でもありました。
――オリンピックで初の入賞、そして、今
澤野:2回目の2008年北京オリンピックでは、アキレス腱が痛くて思うような力を発揮できず予選敗退でした。怪我とはいえ自分の力を発揮しきれなかったのがとても悔しくて、ロンドンに向けてまた4年頑張りました。しかし、ロンドンオリンピック選手選考を兼ねた日本選手権では僅差で負けてしまい代表にはなれませんでした。
当時32歳で今後の事を考えた時、やはりオリンピックに出ないで引退するという選択肢はどうしても僕の中にはなかったので36歳でのチャレンジになりますが「リオを目指そう」と思い4年間頑張りました。その結果が、2016年リオオリンピックでの7位入賞となります。
リオオリンピックには心身ともにとてもいい状態で挑むことができ、今までの競技人生で1番の結果を残すことができました。実はリオオリンピックに出ても出られなくても引退しようと思っていたのですが、リオの結果により周りの応援してくれている人たちに物凄く喜んでいただけて、自分自身もとても幸せな気持ちになれました。痛いところもなく、技術的にもいい状態にあったため、自然とまだ続けたい、跳んでいたいという気持ちが生まれ現在も現役を続けています。
現在、陸上競技を行うときは富士通にお世話になっています。リオの後、富士通からは「澤野が続けたいと思うなら続けていいよ」と言っていただきました。これほど幸せなことはありません。この先の人生でどうなるか分かりませんが、続けることにも意味があると思いますし、何より環境を整えてくださっていることに感謝しています。
――日本大学の講師兼指導者として
澤野:現在、日本大学に講師として勤めています。教員としてはまだまだではありますが、日々一生懸命勉強しながらしっかりとした教員になっていきたいです。
指導者としては、今までやってきた棒高跳びを後世に伝え、陸上界に恩返しをしていきたいという想いがあります。僕が今まで日本の棒高跳び選手として数々の貴重な経験を沢山していることを伝えていきたいですね。自分が現役を続けていることで伝えられることって絶対にあると思いますし、それは辞めてから伝えることとは何か違う力を持っているはずです。
とはいえ、その中で今胸張って「東京目指します!」って言えないのも正直なところです。40歳でオリンピックに出た陸上選手って日本選手はほとんどいませんから。世の中は東京オリンピックに向けて話が進んでいるし、盛り上がっていますよね。僕は1年1年色んなことを試して新しいことを発見しながら頑張り続けて、結果的に東京オリンピックに繋がれば良いと思っています。
(写真:富士通スポーツ-ナノ•アソシエーション)
――指導者としての魅力
澤野:指導した選手が変わってくれることが面白いですね。教えている中で動きが変わったり、選手が感覚やコツを掴む瞬間があります。でも、それらは僕の言葉だけでは選手に伝わらないので、色んな角度から引き出して伝えて、それに気づいた瞬間の動きや選手の「できた!跳べた!」という顔を見ると僕自身嬉しくなります。さらに強くなって成長してくれる彼らは、僕にとっても刺激になりますからね。
教え子の中からオリンピックで入賞したりメダル獲得にまで繋がれば、彼らの周りにいる人たちも喜んでくれるでしょうし、選手本人にとっても幸せなことだと思います。
- 앞으로의 전망에 대해
澤野:棒高跳びで日本記録を保持している1人の競技者として、恥ずかしくない教養などを身に着けていきたいと思います。そして、今でも色んな方にお会いすることもあるので、その縁を大切にしながら自分の人生をしっかりと地に足を着けて送っていきたいです。棒高跳びとは反対ですけどね(笑)。
――最後に、澤野選手から質問
「棒高跳びでは、何が一番大切だと思いますは?」
著者:ポールをはめるところだと思います。
澤野:皆さん、「ポールを突っ込むところ」であったり「空中」と言いますが、実は「助走」が一番大切なんですよね。助走がしっかりしていなければ、高く跳ぶことはできません。つまり、土台がしっかりしていれば高く跳べるわけです。スピードや技術的なものもありますが、助走ができていないと上には行けません。だからこそ、地に足を着けた人間になっていきたいですね。 (了)
澤野大地(さわのだいち)
~プロフィール~
棒高跳び選手(富士通所属) 日本大学スポーツ科学部講師
1980年生まれ 大阪府出身
出身校:印西中(千葉) 成田高(千葉) 日本大学
自己ベスト:5m83㎝(日本記録)
主な代表歴:オリンピック(16リオ、08北京、04アテネ)
世界選手権(13モスクワ、11テグ、09ベルリン、07大阪、05ヘルシンキ、03パリ)
取材協力/日本大学スポーツ科学部
写真提供/富士通スポーツ-ナノ•アソシエーション
취재 사진 / 사쿠마 秀実