게티이미지 2185658722

大谷翔平の「選手冥利に尽きる」は直訳できない?ベストな表現を考える

劇的なwalk-off home run(サヨナラホームラン)で試合を締めくくった大谷翔平選手。2025年4月2日、彼のバブルヘッドナイトのドジャー・スタジアムが、歓喜に包まれた。※トップ画像出典/Getty images

Icon 240910 02 01 1 佐々木真理絵 | 2025/04/09

そもそも「冥利(みょうり)」ってどんな意味?

試合後のインタビューで、インタビューアーから大谷選手に向かってこんな質問が飛んできた。

“How did you describe the emotion in the stadium tonight? Your bobblehead night, you end it with a walk-off.”

「今夜のスタジアムの雰囲気を言葉にするとどうですか?バブルヘッドナイトをサヨナラで締めくくりましたね!」

それに対して大谷選手は、こんな印象的な言葉を返した。

「これだけ多くの人に集まってもらって、選手冥利に尽きる。」

…さて、この「選手冥利に尽きる」という言葉。英語に訳す、もっと言えば“直訳”するとなると、なかなか難しい。

もともと「冥利」という語には、「目に見えない恩恵」「授かりもの」といったニュアンスがあり、「冥利に尽きる」は、「それを味わえる最高の場面」「この上ない幸せ」といった、職業人としての感謝と誇りがにじむ表現だ。

しかし、こうした意味合いをもった日本語の表現に「まさに!」と合点がいくようなドンピシャな英語表現は、ほぼない。もちろん“直訳”できるような表現がないだけで、英語でもその意味を「訳せる」ことを忘れてはいけない。

だから通訳者や翻訳者は、文脈や話し手の心情を読み取りながら、最も近いニュアンスに落とし込んでいくしかない(そしてそこがこの仕事の醍醐味でもある)。

普段忘れてしまいがちだが、そもそも言葉とは“文化のかたまり”、なのだ。ひとつの単語に、その国の歴史、価値観、美意識がぎゅっと詰まっている。だからこそ、他の言語に「完全に訳せる言葉」がないというのは、自然なことだし、当然ということだ。

もう少し具体的な例を挙げるならば、「侘び寂び」や「いただきます」、「お疲れ様です」なんてその最たる例だろう。どれも、その言葉の“背景”を知らなければ訳しようがない。


少々脱線したが、話を戻して「冥利」の訳し方をみていこう。以下の表現がパッと考えられるだろうか。

“This is the greatest honor as an athlete.”

“This is what being an athlete is all about.”

このワードとセンテンスであれば意味も感情も、ある程度伝わるだろう。

プレッシャーが一番かかる時に、一番輝く

さらにこのインタビューでもうひとつ印象的だったのが、次の質問だ。

“Why are you so great when the pressure is the greatest?”
「なぜプレッシャーが一番かかる時に、君は一番輝くのか?」

これに対して大谷選手は、こう答えている。

「プレッシャーがかかるってことは、選手にとっては素晴らしいことだと思います。それだけ多くのファンの人に入ってもらって、いい場面で打席に立たせてもらえるということに満足して頑張りたい。」

このコメントの根底にもまた、「選手冥利に尽きる」という感覚が通っている。
注目され、期待される場面に立てること。それを“ありがたい”と感じる心は、まさにプロフェッショナルの証だ。

そして忘れてはならないのが、そのプレッシャーは選手だけでなく、通訳者にもかかっているという事実である。

選手とともに通訳に待ち受けるのは、目の前の大観衆、そしてテレビカメラにインタビューアー。
すべてが「一瞬」だ。一瞬で聞き取り、一瞬で意味を理解し、正確かつ自然な言葉で伝える。冷静になれば簡単に訳せるフレーズでも、緊張感の中では言葉が出てこないこともある。それでも、選手の言葉の背景にある感情まで汲み取って、丁寧に届けようとする。

その瞬間こそ、まさに「通訳、冥利に尽きる」といえるのではないだろうか。


※기사내의 정보는 전달 시점의 정보입니다