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【選手ヒストリー】不屈のマウンド!メジャーとNPBを駆け抜けた左腕ー和田毅(福岡ソフトバンクホークス)活躍の軌跡/2024年プロ野球引退選手

和田毅は島根県出身の投手で、島根県立浜田高校、早稲田大学を経て福岡ダイエーホークス(当時)に2002年ドラフト自由枠で入団。ボルチモア・オリオールズ、シカゴ・カブスを経て、福岡ソフトバンクホークスに復帰を果たし、2024年に引退した。※イラスト/これ松えむ

아이콘 왕국 아이콘KING GEAR 편집부 | 2025/01/07

2年連続で夏の甲子園に出場

和田は山形県で生まれ、幼少期は愛知県で過ごす。小学1年生の時に江南少年野球団に加入し、野球を始めた。小学6年の春に島根県へ転校し、中学校でも野球を続けた。その後は県内の強豪校の一つに数えられる浜田高校に進学。2年の夏に甲子園出場を果たすも、二回戦で石川雅規(現:東京ヤクルトスワローズ)を擁する秋田商業高校にサヨナラ押し出しで敗退。松坂大輔率いる横浜高校が旋風を巻き起こした1998年夏の甲子園大会では、ベスト8進出に貢献。二回戦で加藤健(現:読売ジャイアンツ)らの新発田農業高校に勝利すると、続く帝京高校戦では、森本稀哲(元横浜DeNAベイスターズ)に本塁打を打たれるも3対2で勝利。準々決勝で古木克明(元オリックス・バファローズ)らの豊田大谷に敗れるも、ベスト8進出を果たした。

1999年に早稲田大学に進学すると、1年生の秋に公式戦に初登板。2年春からローテーション投手として起用されると、江川卓氏が持っていた東京六大学野球連盟奪三振記録を更新する通算476奪三振を奪い、早稲田大学の4連覇に貢献。4年間で62試合に登板し、登板27勝13敗、防御率1.35、476奪三振の好成績を残し、プロ注目の左腕として進路に注目が集まることとなった。

オールスター連続選出とリーグ連覇!

2002年のドラフト会議では、福岡ダイエーホークス(当時)に自由獲得枠で入団。ルーキーイヤーの2003年には、開幕から先発ローテーションの一角を担い、シーズン通算では26試合の登板で14勝5敗を挙げる活躍を見せて新人王を獲得。オールスターゲームでは優秀選手賞を獲得した。3年ぶりのリーグ優勝を成し遂げたチームは、18年ぶりのリーグ優勝に沸いた阪神タイガースと日本シリーズで対戦。3勝3敗で最終戦までもつれたシリーズの第7戦に登板した和田は完投勝利を挙げ、胴上げ投手となった。

2004年は、2年連続で2桁勝利を挙げたものの10勝6敗、防御率は4.35と成績を落とし、この年から始まったパリーグのプレーオフでは第2ステージの対西武二回戦で炎上し、リーグ優勝を逃すことに。なお、7月のオールスターゲームでは2年連続の優秀選手に選ばれている。2005年には12勝、2006年はルーキー以来の14勝、2007年にも12勝を挙げる活躍で、球団としては杉浦忠以来45年ぶりの5年連続2桁勝利を記録した。2008年もオールスターまでに8勝を挙げる活躍でさらに記録を伸ばすことも期待されたが、後半戦は援護に恵まれたなかったこともあり、勝ち星を伸ばせず、2桁勝利の記録は5年で途切れることとなった。

2009年は、開幕のオリックス戦で14三振を奪って完封勝利を挙げるも、その後はヒジの炎症に苦しみ、5月下旬以降は離脱を強いられることに。9月に戦線復帰を果たしたが、この年は4勝5敗で過去最低のシーズンに終わった。捲土重来を期す2010年、4月8日に行われたロッテ戦では、自身が前年に作った記録を更新する15奪三振を達成。6月に10勝をマークした後も安定した投球を見せ、最終的には自己ベストの17勝を挙げる活躍で、最多勝のタイトルを獲得。なお、チームの7年ぶりの優勝に貢献した功績が認められ、MVPとベストナインにも選出されたが、チームはCSで3位からの下剋上を目指す千葉ロッテの前に屈し、悔しさも味わった。

シーズン序盤から好調だった2011年は、開幕戦での勝利は逃したが、5月から7月にかけて自身初の7連勝を記録。最終的には16勝を挙げる活躍でリーグ連覇と8年ぶりの日本一に貢献した。8月3日の対オリックス戦では通算100勝目も達成している。

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夢を追い続けたメジャー4年間

2011年に取得した海外FA権を行使し、ボルチモア・オリオールズと2年契約を結んだが、2012年は左ヒジの違和感を訴えたこともあり、故障者リスト入りして開幕を迎えた。メジャーでの登板を目指して調整を続けていたが、4月末に左ヒジの靭帯損傷が見つかりトミージョン手術を受けることになり、メジャーのマウンドに上がれぬままでシーズンを終えることとなった。2013年は3Aにあたるノーフォーク・タイズで調整を続けたが、2年目もメジャー昇格はならず、11月2日に自由契約を言い渡されることとなった。

2013年にシカゴ・カブスとマイナー契約を結んだ和田は、3Aにあたるアイオワ・カブスで開幕を迎えると、そこから安定した投球を披露。4月第1週の週間MVPを受賞した活躍などが認められて、6月22日にメジャー契約を掴み取ると、7月8日のシンシナティ・レッズ戦でメジャー初の先発マウンドを踏んだ。一時は降格を味わうものの、7月28日のコロラド・ロッキーズ戦で7回1失点の投球を見せてメジャー初勝利を掴むと、その後は先発ローテーションに定着。この年は13試合に登板し、4勝4敗、防御率3.25の成績で、翌年のメジャー契約を勝ち取った。

さらなる飛躍も期待された2015年だったが、オープン戦で左太ももを痛めて4月に故障者リスト入り。5月にメジャーに昇格し、20日のサンディエゴ・パドレス戦で初登板を果たすも、6月22日のロサンゼルス・ドジャース戦で左肩に痛みを訴えたことから3回途中に降板。その後は降格を経て、セプテンバー・コールアップに伴い9月に再昇格するが、わずか1試合の登板に終わった。この年のカブスは、ワイルドカードでポストシーズン出場を果たしたものの、和田は出場40人枠から外れ、自由契約を言い渡されることとなった。メジャーで4シーズンを過ごした和田は、2015年11月に福岡ソフトバンクホークスへの復帰を決断。5年ぶりに慣れ親しんだユニフォームに袖を通すこととなった。

年齢を重ねても変わらぬ実力

2016年はオープン戦から好調を維持し、15勝5敗・勝率.750で6年ぶりの最多勝利と自身初となる最高勝率のタイトルを手にしたが9月末に左ヒジ痛の影響で登録抹消。ポストシーズンでの出番はなかった。

2017年は6年ぶり4度目の開幕投手を務めるも、左ヒジの不調により4月11日に登録を抹消され、その後は肘頭骨の棘切除術を受けることに。8月に復帰して1500奪三振をマークし、わずか8試合の登板に留まり4勝無敗のパフォーマンスを見せて、2年ぶりのリーグ優勝に貢献した。なお、4勝2敗で日本一を手にした横浜DeNAベイスターズとの日本シリーズでは、第4戦に先発して敗戦投手になっている。

左肩痛のため一軍公式戦ゼロに終わった2018年を経て、復帰を期す2019年は6月以降戦線に復帰して12試合に登板、4勝4敗、防御率3.90の成績を残すと、日本シリーズでは第4戦の先発マウンドを任され、巨人打線を相手に5回無失点の好投を披露。ルーキーイヤー以来の日本シリーズでの勝利を掴み取った和田の活躍もあり、チームは日本一を手にすることとなった。続く2020年は、コロナ禍の影響で6月に開幕を迎えたが、試合数が少ないながらも、16試合に登板して8勝1敗の成績を収め、先発のマウンドに上がった10月27日の対千葉ロッテ戦では、先発として6回を無失点に抑え、チームのリーグ優勝を手繰り寄せることに。なお、和田がリーグ優勝決定試合で勝利投手なったのはキャリア初のことだった。

その後もローテーションとしてチームを支えた和田は、2021年には5勝6敗、2022年には7勝4敗を挙げ、22年6月19日の対東北楽天戦で、日米通算150勝を達成。8勝を挙げた2023年には、監督推薦で7年ぶりのオールスターゲーム出場も果たし、42歳4か月での登板はパ・リーグ最年長記録だった。

悔しさを胸に選手生活に終止符

「山川穂高のFA移籍に伴う人的補償として移籍するのでは」という報道で幕を開けた2024年は、小久保裕紀新監督が開幕ローテーション入りを公言していたものの、怪我の影響で見送られ、5月に一軍復帰を果たした。5月6日の日本ハム戦で、味方の大量援護の甲斐もあって初勝利を挙げると、22日の楽天戦では2勝目をマーク。その後は不安定な投球を見せて二軍降格を味わったものの、9月25日の西武戦では、6回に中継ぎとしてマウンドに上がり、キャリア初のホールドを記録した。チームはリーグ優勝を成し遂げたものの、和田の登板はなく、日本シリーズでは3位からの下剋上を目指す横浜DeNAの勢いの前に屈し、2勝4敗で日本一達成はならず。

和田は2025年の戦力構想にも入っている状況だったが、自身の意向もあってシーズン終了後に引退を決断。松坂世代最後のNPB選手と言われたサウスポーは、21年の選手生活に幕を下ろした。

プロフィール

名前:和田毅(わだつよし)
出身:島根県
生年月日:1981年2月21日
身長/体重:179cm/81kg
投打:左投げ左打ち
ポジション:투수
ドラフト:2002年ドラフト自由枠

通算成績

実働21年:334試合 165勝94敗 3H 防御率3.19
NLB:実働4年(通算21試合 5勝5敗 防御率3.36)
NPB:実働17年(通算334試合 160勝89敗 3H 防御率3.18)

獲得タイトル

2003年:新人王、オールスターゲーム優秀選手賞
2004年:オールスターゲーム優秀選手賞
2010年:最優秀選手、ベストナイン、セ・パ交流戦日本生命賞