“駅伝に詳しすぎるアイドル”誕生!西村菜那子が取材者として込める想い「私はセンターにいた人間ではない」
西村菜那子さんは長野県出身で、2015年から22年までNGT48のメンバーとして7年間にわたり活動。在籍中から「駅伝に詳しすぎるアイドル」として注目を集め、駅伝や陸上関係のメディアに多数出演するなど、豊富な駅伝知識を活かして活躍の場を広げてきた。今回キングギア では正月の風物詩として行われる第101回箱根駅伝の開催を前に西村さんにインタビューを実施。駅伝観戦を始めたきっかけや各媒体で活躍するまでの過程に迫った。※トップ画像撮影/長田慶
アイドル活動で上京時に記録会へ
ーー西村さんが駅伝を好きになったきっかけは何ですか?
両親が駅伝が好きだったのが大きな理由のひとつだったんですが、私はもともとそんなに興味はなくて、初めて箱根駅伝をテレビでちゃんと観たのが中学2年生の時なんです。その時に当時5区を走っていたのが東洋大の柏原竜二さんで、柏原さんの5区での走りを観て、「こんなに順位を上げていく人がいるんだ!」と、衝撃を受けたんです。
箱根は往路と復路があるんですけど、私はその時に復路は観なかったんです。箱根は優勝した学校が翌日の朝の情報番組に大体ゲストで出るんですね。当時(優勝して)ゲストで出ていたのが早稲田大学だったんですよ。
「東洋じゃないの?」と思って私が復路で観なかった間に逆転劇があったというのをそこで知って。「何があったんだろう?」とすごく気になって、そこから出雲駅伝、全日本大学駅伝と三大駅伝を全部追ってみようと。「一瞬たりとも見逃したらダメなんだ!」という意識が強くなって、そこから駅伝にはまっていきました。
ーー長野県出身ですが、ご両親は駅伝の経験などはありましたか?
全くやっていない家です。両親はもともとスポーツ観戦が好きだったんですよ。そのなかでも箱根駅伝が一番好きという感じで、今でも家に帰ると「今日はこんな大会がやってるよ!」と親が言ってくるような家族。駅伝大好き一家ではあります。
ーー箱根のあとに観るようになった駅伝大会はなんですか?
箱根以外だと都道府県対抗駅伝が面白いなと思って。箱根と同じく1月にあるんですけど、その大会は選手の出身別にチームが分かれている大会で、私は信州の長野県出身ですが、自分の地元は駅伝が強いんだと知るきっかけにもなりましたし、箱根駅伝でライバルとして走っていた選手が同じチームになっていたり、そういうところも私は面白いと思っていました。
ーー2015年からNGT48としてアイドル活動をされますが、その間の駅伝の観戦スケジュールはどうでしたか?
私は当時新潟県に住んでいたんですが、新潟は主要大会があまりないんですね。主要大会である箱根を走るランナーが出る大会は関東でやってることが多いんですが、2週間に1回くらいAKB48の握手会が東京であって、NGT48も参加していたんです。月に2度くらい東京に行っている状況だったので、その握手会が終わってから「日体大競技会」という記録会を観に日体大のキャンパスに行っていました。
ーー記録会まで駅伝を追っていく女性は珍しい気がするんですが、なぜそこまで追うようになったんですか?
私は今でもそうなんですけど、もともとは家で観る派なんです。ただ、仕事という面においては、現地に行った方がいいんじゃないかという気持ちがあって。実際に現地に行ってみたら現地でしか分からない楽しさがありました。
촬영/나가타 케이
新聞社の企画をきっかけに駅伝が仕事に
ーー周りに西村さんの駅伝好きが知られるようになったきっかけはありますか?
きっかけは2017年の1月1日に発売されたスポーツ報知さんの取材があって、そこで「駅伝に詳しすぎるアイドル誕生」という見出しが出て、それで結構風向きが変わった感じです。
オファーをいただいたのはその時が初めてだったんですが、そのひとつ前には青学大の原晋監督と対談していたこともあったんです。
こちらは日刊スポーツさんの企画なんですけど、AKB48が当時10周年を迎えて本が発売されたんですよ。その本を当時1番末っ子グループだったNGT48のメンバーが読んで、読書感想文を書いてくださいという企画があったんです。最優秀賞と審査員特別賞に選ばれたメンバーは日刊スポーツでご褒美企画があって。「何でも好きなことをやっていい」と言われていたなかで、私が審査員特別賞に選ばれたんです。
選んでいただいてから最初は、「グラビアとかやろうかな?」とか「可愛い服を着ようかな?」と思ってたんですが、当時の広報のスタッフさんに「西村さんは駅伝で何かやった方がいいと思います!」と言われて。
当時は原監督がメディアに出られていた時期だったので、広報の方が原監督に掛け合ってくださって実現した企画だったんです。そのあとにスポーツ報知からオファーが来た時は嬉しかったですし、1人の駅伝アイドルとして認めていただけたのかなという気持ちでした。
ーーその後に駅伝の仕事が増えて活動が広がっていったと思いますが、ターニングポイントとなった仕事はありますか?
ひとつ大きかったのが、2018年に富士山女子駅伝の番組応援大使をやらせていただいたことです。富士山女子駅伝は箱根駅伝に匹敵する女の子の大会なんですけど、初めてフジテレビさんで地上波と関わったんです。オフィシャルの大会というのがすごく大きくて、これはきっかけだったのかなと思います。
촬영/나가타 케이
ーーフジテレビでの仕事で地上波の反響は大きかったですか?
大きかったですね。当時私はまだ知られていなくて、初めてフジテレビに行って何がなんだかわからない状態でやっていました。ただ、この仕事を生み出してくれたのも、読書感想文の時に「原監督と対談したら?」と言ってくれた広報のスタッフさんだったので、その方と二人三脚でやってきた、といっても過言ではなかったです。
ーー仕事になっていくに伴って、駅伝に対する心境の変化などはありましたか?
今まで選手に対しては自分が年下だったので、選手の方が年上でお兄さんというイメージがあって、そんなに選手の裏側まで知りたいとは思っていなかったんです。ただ、自分が年上になっていき、仕事をしていくなかで選手の裏側を知ると、「大学生なのにこんなことを経験しているんだ!」とか「こんな想いでやっているんだ!」と知る機会が仕事として増えていったんです。
私はアイドルとしてセンターにいたとか、1列目にいた人間ではなかったんですね。なので、ちょっとでも私のことを取材してくれるスタッフさんや記者の方がすごく嬉しかったんです。だから、逆に私も選手に対していろんな選手を取材してピックアップしたいという気持ちが芽生えてきました。有名選手以外もということは大切にしています。
イベント開催からWebマガジンへも移行
ーー『#西村駅伝』という形でイベントを開催していくと思うんですが、そこに至った経緯はありますか?
NGT48の時にサッカーが好きな子とか野球が好きな子とか、いろんなスポーツが好きなメンバーがいるなかで、「それぞれイベントを持ってみましょう」というのをスタッフの方が考えてくださって。その第1号として私が駅伝イベントをやりましょうとなって、『#西村駅伝』という名前をつけられたんです。
その時は神野大地さんをゲストにやったんですけど、リアルイベントとして好評だったので、ほかの選手を呼んでやったりしていたんですよ。それからコロナもあったりとか、さまざまな兼ね合いによって1回できなくなった時に、私の事務所の社長が「Webマガジンにしてみたらどう?」という話を持ちかけてくださって。徐々にWebマガジンに移行していきました。
ーー『#西村駅伝』としてイベントをやってみて、楽しい一面もある一方で、準備もいろいろ大変なことがあると思います。その辺りはどうでしたか?
今までNGT48にいた時は、スタッフさんの敷いてくれたレールを歩くしかなくて、そこでいかに自己表現をするかというのが大事だったんですけど、駅伝のイベントをやるとなった時に、駅伝のことを詳しいスタッフさんはいないわけです。私が何をするかを全部決めなければならないので、全部敷かれたレールではなく、自分が作っていくというのを経験した時は難しかったですね。
ーーイベントを繰り返していくうちにブラッシュアップされて徐々にいい形になって行くという手応えはありましたか?
徐々にやっていくうちにゲストの方も変わっていくなかで、基本的に陸上選手なんですけど、「こういうことをやりたい」と言ってくれる選手がいたりとか、どんどん選手側から言ってくださるようになりました。選手側の意見といちファンとしての私の意見を合わせることができたので、徐々にブラッシュアップできたのかなと思います。
ーー西村さんのことをアイドル時代から応援していたファンの方で、「陸上を好きになりました!」とか、「こういう大会行きました!」とか、そういう声は届きましたか?
いっぱいいるんです。例えば箱根を夫婦で観に行きましたとか、関東インカレという大会を観にいったんだよねとかいう方の話を聞けるのは嬉しいなと思います。
촬영/나가타 케이
西村菜那子
1997年8月11日、長野県出身。元NGT48のメンバー。“駅伝に詳しすぎるアイドル”として、その知識を活かし陸上や駅伝関連のメディアに多数出演。メディアでのコラム連載も担当している。さらに自身の名前を冠したWebマガジン「#西村駅伝」を2023年3月よりスタート、自ら取材を行いコンテンツ配信を行っている。長野県長野市出身として2021年4月には「長野市城山動物園」の親善大使、同年9月には「NAGANO未来デザインアワード」のアンバサダーに就任。
Hair&make:Anri Toyomori (PUENTE.Inc)
사진:오사다 케이